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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)6642号 判決

昭和五二年(ワ)第六六四二号事件及び同五三年(ワ)第四八九号事件原告 株式会社セクレーヌ南東京

右代表者代表取締役 下田勝造

右訴訟代理人弁護士 門好孝

同 今井浩三

昭和五二年(ワ)第六六四二号事件被告 斎藤重男

同 佐藤甚五郎

昭和五三年(ワ)第四八九号事件被告 青松俊章

右三名訴訟代理人弁護士 遠藤雄司

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金三〇〇万円及びこれに対する被告佐藤甚五郎においては昭和五二年八月九日から、被告斎藤重男においては同月一一日から、被告青松俊章においては同五三年一月二八日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金五五九万〇九一七円及びこれに対する被告佐藤甚五郎においては昭和五二年八月九日から、被告斎藤重男においては同月一一日から、被告青松俊章においては同五三年一月二八日から各支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求は、いずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外株式会社ビューティ・ランド(旧商号株式会社セクレーヌ。以下「訴外会社」という。)は、オランダ製化粧品「セクレーヌ」の販売を目的として昭和五〇年一月二九日に設立された株式会社であり、設立以降同年六月ごろまでの間、被告佐藤は訴外会社の代表取締役、同斎藤、同青松は同社の取締役の地位にそれぞれあったものである。

2  原告は、訴外会社から供給される「セクレーヌ」の販売を目的として後に原告代表者となった下田勝造(以下「下田」という。)、佐々木彌彦らにより昭和五〇年二月初旬ごろ設立に着手され、同年四月八日に設立登記を完了した株式会社である。

3  下田らは、昭和五〇年三月初ごろ、訴外会社との間で、「セクレーヌ」の販売につき、左記の内容の代理店契約を締結した。

(一) 訴外会社は、設立後の原告に対し、同年四月一日以降、一〇〇個単位で「セクレーヌ」を供給する。

(二) 訴外会社は、原告に対し、「セクレーヌ」一個につき小売値金一万二〇〇〇円の四五パーセントの価格で卸売りをする。

(三) 原告は、訴外会社に対し、加盟時に、加盟料金一〇〇万円、保証金二〇〇万円の合計金三〇〇万円を納入する。

(四) 訴外会社は、原告に対し、右保証金及び加盟料を、次の場合に次の割合で返還する。

(1) 原告が一年以内に特約店を開設した場合には、全額。

(2) 原告が一年以内に「セクレーヌ」の責任販売二万四〇〇〇個を達成した時点で全額。

(3) 原告が一年以内に代理店契約を解約する場合には、七五パーセント。

4  下田らは、訴外会社に対し、右契約に従い、昭和五〇年二月二八日に保証金二〇〇万円、同年三月四日に加盟料金一〇〇万円をそれぞれ支払った。

5  被告青松は、昭和四九年一月頃化粧品のマルチ商法で問題となったホリディマジックにおいて訴外富田瑞穂と知り合ったが、富田と共に「セクレーヌ」をいわゆるフランチャイズシステムにより販売しようと考え、まず、「セクレーヌ」の輪入会社である訴外ボッシスジャパン株式会社を設立し、昭和五〇月三月一七日オランダ製化粧品「セクレーヌリンクルスムーサー」の輸入許可を取得する一方、「セクレーヌ」の総発売元として訴外会社を設立し、更に訴外会社の販売を促進させる機構として代理店を獲得・組織化していくSBC運営委員会(以下「SBC」という。)を設置し、SBCは代理店を獲得し、代理店から訴外会社へ保証金及び加盟料を納入させて代理店契約を締結し、各代理店が訴外会社から卸された「セクレーヌ」を特約店を通して販売することにより、右化粧品を爆発的に販売し、高収益をもたらそうとした。そして、被告青松は、訴外会社の実質的な設立者かつ経営者として人事・経理その他経営全般における実権を握り、富田はSBC総本部長として、両者が協力をして「セクレーヌ」を組織的に販売していこうとした。

6  しかるに、訴外会社は、原告を始めとする代理店に対し、代理店契約に基づき昭和五〇年四月一日以降「セクレーヌ」を供給すべき義務があるのにこれを履行しないばかりか、設立後半年も経たないうちに機能を停止し、事実上倒産状態に陥ってしまった。

すなわち、訴外会社は、原告を始めとする代理店に対し、代理店契約に基づき昭和五〇年四月一日から「セクレーヌ」を供給する旨約し、同年三月ごろテレビや雑誌で「セクレーヌ」の広告宣伝を行い、代理店に「セクレーヌ」の販売態勢を整えさせていたにもかかわらず、「セクレーヌ」の入荷が大巾に遅れたため、原告を始めとする代理店への供給も大巾に遅れ、原告に対し「セクレーヌ」を供給したのは同年五月末ごろであり、しかも一月分の約定個数(一〇〇個)の半数を供給したにすぎなかった。

他方、訴外会社の実質的な経営者である被告青松とSBCの総本部長である富田との間にも、「セクレーヌ」の入荷が遅れたり、あるいは代理店の獲得が思うようにいかないといったことから意見の対立を生じ、同年三月には被告青松は富田をSBC総本部長の職から解任し、同年六月二八日にはSBC自体を解散させ、さらに同年七月一日には被告青松が訴外会社の取締役を辞任するに至り、ここに訴外会社の機能は停止し、事実上倒産状態に陥った。これより先、同年六月七日には、訴外会社は商号を株式会社セクレーヌから株式会社ビューティ・ランドに変更し(同月二〇日登記)、同年七月七日には本店を港区南青山三丁目一八番一七号から渋谷区神宮前六丁目一九番一四号に移転し、新しく出発しようとの試みもなされたのではあるが、結局、実ることなく、この間事業は何も行われることなく、同月末には不渡手形を出して倒産した。

《以下事実省略》

理由

一1  請求原因1の事実中、訴外会社の営業目的を除くその余の事実及び訴外会社が少なくとも「セクレーヌ」の販売をも営業目的としていたこと、同5の事実中、ボッシスジャパン株式会社、訴外会社がそれぞれ設立されたこと、SBC運営委員会が設置されたこと、富田がSBC総本部長であったこと、同6の事実中、訴外会社がテレビ等で「セクレーヌ」の広告宣伝を行ったこと、訴外会社が原告主張のとおり商号を変更し、その主張のとおり本店を移転したこと、被告青松が原告主張の日に訴外会社の取締役を辞任したことは、いずれも当事者間に争いがない。

右の当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  富田及び被告青松は、いずれも、かつては、ホリディ・マジック株式会社というマルチ式商法による化粧品販売会社に勤めていた者であるが、昭和四九年ころ、右両名はいずれも同じ営業所に勤務していたことから知り合うようになった。

同年八月ごろ、被告青松は、ホリディ・マジックに勤めていた経験を生かして、フランチャイズ・システムによるオランダ製化粧品「セクレーヌ」の輸入・販売をしようと考え、同年中に右商品の輸入会社としてボッシス・ジャパン株式会社(以下「ボッシス・ジャパン」という。)を設立して自ら代表取締役に就任するとともに、同年一二月ごろ、富田に対し、自己の計画を明らかにして、その協力を求めた。当時、いわゆるマルチ式商法による被害者が多数生じたことから、国会でもとりあげられるなど右商法は社会的に厳しい批判を浴びていたのであり、かつ、ホリディ・マジックもそのころマルチ式商法で摘発されたことがあるので、右両者はマルチ式商法を避け、いわゆるフランチャイズシステムで販売することを考えたが、通常のフランチャイズシステムと異なり、商品販売面と宣伝販売促進活動、加盟店の開発、加盟店に対するノウ・ハウの提供等の指導援助の面を分離し、後者は、代理店等の販売機構を組織化し、整備する機関であるSBCを設けて、これに委ね、SBCは、代理店を勧誘・採用し、代理店から加盟料金一〇〇万円、保証金二〇〇万円の合計金三〇〇万円を訴外会社に納入させ、代理店は特約店を勧誘し、訴外会社に保証金二〇万円、加盟料金一〇万円の合計金三〇万円を納入し、SBCの承諾をえて特約店となり、特約店は販売店を勧誘するものとし、このようにして代理店、特約店、販売店を獲得・組織化することによって販売網を組織化し、整備するものとし、別に販売面のみを担当する訴外会社を設け、右の販売組織を通じて「セクレーヌ」を販売する、代理店、特約店、販売店には、それぞれ小売価格の一定割合のマージンが入り、SBCにも代理店勧誘時に保証金、加盟料の各二五パーセントを、「セクレーヌ」が販売された時は一個当り小売価格の六パーセントを、それぞれ支払う、というものであった。富田は、このような計画ならば、相当数の商品がさばけるものと考えて、被告青松に対し、協力を約した。

(二)  被告青松は、前記計画に基づき、昭和五〇年一月二九日に、販売面のみを担当する訴外会社を設立し、そのころ入社した被告斎藤を取締役に、被告佐藤には名目だけでよいから代表取締役になってくれるように依頼して代表取締役に、それぞれ就任せしめるとともに、自ら取締役となり、かつ副社長に就任した。その結果、被告青松は、ボッシス・ジャパンが訴外会社に「セクレーヌ」を一手に卸すことと相俟って、同社の実質的経営者となったものである。

被告佐藤は、被告青松から名目だけでよいからと頼まれたこともあって、同年五月ごろまでは、何ら訴外会社の経営に関心をもつことがなく、その余の被告らに会社業務の一切を任せきりにしていた。

被告斎藤は、同社の取締役総務部長として総務関係の仕事を担当していたほか、企画室室長代理、経理部課長代理をも兼務していたものであって、金銭の出納、帳簿類、伝票類の保管等をも担当しており、経理担当の社員を入社させた同年四月以降も、被告青松とともに経理関係の責任者としての地位にあった。

また、被告青松は、営業開発面を担当する機関としてSBC運営委員会を設け、自ら会長代行になるとともに、その総本部長に富田を就任させた。富田は総本部長に就任するにあたり、神山洋治、佐藤鉄夫をSBCの東日本本部長、西日本本部長に就任させることとし、その保証金として三名で合計金一五〇〇万円を訴外会社ないしその設立発起人である被告青松に支払った(富田はそのうち金六五〇万円を負担した。)。

そして、訴外会社、SBC及びボッシス・ジャパンは、本店ないし事務所を東京都港区南青山三丁目一八番一七号の同じビルの同一階に設け、部屋を仕切って利用していた。

(三)  原告代表者下田勝造は、友人である柄沢英治が「セクレーヌ」の代理店契約の話をききつけてきたことから興味を持つようになり、右両名及び佐々木彌彦の三人は、昭和五〇年一月ごろ、SBC事務所において、富田から代理店契約に関して説明を受けた。説明の内容は、「セクレーヌ」はオランダ製のしわ取り専用の乳液状の化粧品で、アメリカやヨーロッパではよく売れていること、日本には同年四月一日までに入荷し、右同日発売すること、仕事内容は、特約店を勧誘し、訴外会社から卸される右化粧品を特約店に卸すこと、代理店へ卸す時は右化粧品一〇〇個単位とし、訴外会社は小売値の四五パーセントで卸し、特約店には五〇パーセントで卸すので一個あたり小売値一万二〇〇〇円の五パーセント(金六〇〇円)の利益があがり、かつ、代理店は地域を限定して一店のみとし、下田ら(原告)には委託地域として品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、杉並区の六区を割り当て、特約店設置予定数は七九七店であるので、非常に儲る仕事であること、SBCは代理店の経営を全面的に援助すること、代理店になるためには訴外会社に加盟料金一〇〇万円、保証金二〇〇万円の合計金三〇〇万円の納入が必要であるが、一年以内に特約店一〇〇店を開設した時点で加盟料を全額返還し、一年以内に「セクレーヌ」を二万四〇〇〇個販売した時点で保証金を全額返還する、一年以内に代理店契約を解除する時は、加盟料及び保証金の合計額の七五パーセントを基礎に、利益の二分の一を控除して残額を返還する、一年以内に特約店一〇〇店の開設又は「セクレーヌ」二万四〇〇〇個の販売ができない時は訴外会社が、宣伝広告援助実費、研修援助実費及び販売機会実損等として、加盟料及び保証金を取得する、その他販売組織・機構等についてのことであった。下田らは、それほど儲るなら、ということで代理店になることを決めた。

そこで、まず、下田ら三名は、代理店を株式会社とすることにし、昭和五〇年二月初旬ごろ会社設立に着手し、同年四月八日に設立登記を完了し、商号を商品名である「セクレーヌ」に求めて、株式会社セクレーヌ南東京と称し、営業所を東京都渋谷区本町一丁目二〇番二号パルムハウス初台一一一一号におき、代表取締役に下田がなった。下田は、当時勤務していた会社を同年三月末に退職し、代理店経営に入るとともに、同月中に社員二名を雇い入れた。

一方、下田らは、原告設立手続と併行して、SBCの富田立会のもと、同年二月二八日に佐々木彌彦名義で代理店契約の保証金二〇〇万円を、同年三月四日に下田及び佐々木両名の名義で加盟料金一〇〇万円を、それぞれ訴外会社に支払い、その頃セクレーヌ南東京名義で訴外会社及びSBC総本部との間において、代理店契約を締結した。その内容は、訴外会社は、原告に対し、昭和五〇年四月一日以降毎月継続的に「セクレーヌ」を単価五四〇〇円で供給し、原告は、これを、SBC総本部の定めた販売方法によって販売する、原告は、SBC総本部の指導のもとに研修センター機構及び配送センター機構を設け、定められた地域内でのフランチャイジー(特約店)の援助活動を推進し、速かな商品供給を計らなければならない、SBC総本部は、原告を保護するため、定められた地区内に他の第三者の営業権を認めない、加盟料、保証金の返還については前記のとおりなどというものであった。

(四)  訴外会社は、昭和五〇年四月一日に「セクレーヌ」を発売するということで、同年二月から三月にかけて、テレビコマーシャルや雑誌「マダム」等に広告を出すなどの宣伝をしてきたし、SBC総本部も代理店にその旨を伝えてきた。しかし、ボッシス・ジャパンが厚生省から右化粧品の輸入許可を受けたのは同年三月一七日であり、ヨーロッパで販売しているものと発売予定の「セクレーヌ」とでは、商品名のみならず、容器やラベル、デザイン、包装等を異にすることから、同年四月一日発売に間に合わなかった。そこで、特約店からの要求もあって、原告を含め代理店は、訴外会社に対し、繰り返し直ちに右化粧品を発売するように催促したが、同社は、オランダからの航空便が遅れているとか、羽田に着いてはいるが税関を通らない、とか答えるばかりで一向に右化粧品を供給しようとはせず、かえって右化粧品を供給するまでは「マーシャル」を売っていてくれ、と述べて、「マーシャル」を供給した。「マーシャル」は、ボッシス・ジャパンが昭和四九年八月に奈良の清栄薬品から仕入れて、当時在庫として所有していたものである。「マーシャル」は「セクレーヌ」と中身が同じであるかどうかは別として、商品名は勿論、容器、外装等において「セクレーヌ」より見劣りがするものであり、かつ、テレビコマーシャルや雑誌の広告、パンフレット類はすべて「セクレーヌ」となっており、「マーシャル」に関するものは何もなかったので、「マーシャル」はほとんど売れなかった。現に、原告は「マーシャル」を合計一二〇個仕入れたにもかかわらず、昭和五〇年三月から五月までの三か月間でわずか二二個しか売れなかったのであり、訴外会社も一万個仕入れたにもかかわらず、昭和五〇年五月末ごろ在庫は約八〇〇〇個ある、という有様であった。

このようなことから、小森某のように、代理店経営に嫌や気がして解約を申し出る者も出る始末であり、混乱が生じた。

そして、「セクレーヌ」が訴外会社に最初に入荷したのは、同年五月二二日であり、原告のところへ始めて入荷したのは同月二六日であった。そのため、前記各種の広告等もほとんどその効果を発揮することができなかったし、更に、同社は右化粧品入荷後は何らの広告をすることもなかった。

(五)  下田、柄沢、佐々木らは、昭和五〇年一月に、富田から代理店経営等についての説明を受けた時点では、非常に儲る仕事と考えていたが、実際に代理店経営をやってみて、非常に困難な仕事であると感ずるようになった。それは、既存の化粧品会社の系列の代理店、特約店が多数存在することから、「セクレーヌ」と競合する化粧品を排除して、新たに「セクレーヌ」の特約店とすることにそもそも無理があり、また、下田らは化粧品についての専門的知識に乏しく、右化粧品の特徴を充分に説明することができず、更に、当時社会的にマルチ式商法が批判されているなかでのマルチ式商法類似の販売方法であることから、一般から強い拒否反応を受けることとなり、加えて、右化粧品は一個当り金一万二〇〇〇円という高価なもので、なかなか買いにくい値段であった、ということなどからである。値段の点は別としても、経営から販売に至るまでのあらゆる指導とノウ・ハウについては、SBC総本部が全面的に供給することになってはいたが、現実にはほとんど販売指導等はされなかった。のみならず、SBC総本部は、富田、神山洋治、佐藤鉄夫の三名を中心に組織され、右三名の者がどれだけ宣伝や「セクレーヌ」の知識に通じていたかは別としても、代理店獲得のためにあちらこちらを走り回っていたのが現状で、一緒に化粧品店へ行って「セクレーヌ」の効能を説明することはとうてい期待できない状況にあった。このような次第で、原告としても、自力で獲得できた特約店は、わずか一店にしかすぎなかった。

また、「セクレーヌ」の入荷が二か月近くも遅れたため、原告社員らは営業意欲を阻喪するようになった。

(六)  訴外会社は、設立当時の資本金一二五〇万円、富田らからの保証金一五〇〇万円、代理店八店からの加盟料、保証金の合計金二四〇〇万円、その他に特約店も存在したので、少なくも金五〇〇〇万円以上の資金があったものとみられ、かつ、ボッシス・ジャパンからは掛売りであったことから相当程度の資金的余裕はあったものとみられるにもかかわらず、設立当初から資金繰りに苦しんでおり、更に、広告代等多額の出資をしたにもかかわらず、広告対象の「セクレーヌ」の入荷がなく、これにかわる「マーシャル」自体も営業経費をまかない得るほどには販売できず、そのため設立後も資金繰りに苦しんでいたところ、前記小森某が昭和五〇年五月ごろ同社に保証金及び加盟料の返還を求めたところ、被告青松から金がないから払えない、ということで支払を拒否され、被告佐藤に対して支払を求めたことから同人は始めて訴外会社の経営に関心を持つに至り、同社の帳簿を見、収支のあわない部分のあることを発見したが、被告青松に帳簿をとり上げられてしまい、そのままになった。

その後、同年六月二八日ごろ、富田は被告青松から同人にかわって訴外会社を経営してくれるように求められたので、増永寛に依頼して同社の経理状況を調査したところ、領収証のない支出など使途不明金が一五〇〇万円ないし一六〇〇万円位あり、かつ控の残されていない約束手形用紙四通が紛失していたので、被告青松が同人の負債を弁済するために勝手に会社資金を流用したのではないかと疑いを抱くようになり、かつ、将来同社はどれだけの債務を負担することになるのかわからない、として、同社の経営をことわったほどであった。

(七)  訴外会社とSBC総本部との関係は、既述のように、SBCの開発した販売経路によって訴外会社が「セクレーヌ」を販売する、というものであったから、両者は、いわば車の両輪とでもいうべき関係にあり、双方が協力し合って始めて成果をあげることのできるものであった。しかし、昭和五〇年三月ごろにはすでに経営方針について被告青松と富田との間に意見の対立が生じ、そのため富田は被告青松からSBC総本部長を解任され、同年六月二〇日に阿蘇厚彦が取締役に就任してマーケッティングを担当するようになり、従来の販売方法を変更するように主張し、被告青松がこれを支持し、かつ、同人は富田らに対し、SBC総本部の代理店獲得数(当時には八店。)は少ないと批判し、かつ、富田に無断で同月七日に訴外会社の商号を変更して株式会社ビューティランドとしたため、両者の対立はより激しくなり、同月二八日のSBCの会合で、富田らは被告青松からSBC運営委員を解任され、結局SBCは消滅することとなった。なお、右商号変更のころには、訴外会社は事実上その機能を停止していた。

その後、同年七月一日には被告青松も訴外会社の取締役を辞任し、被告青松のワンマン経営で行き詰った訴外会社を、富田又は被告佐藤において再建するため、同月七日、本店を東京都渋谷区神宮前六丁目一九番一四号に移転して資金手当に努めたが、結局他から融資を受けることができず、また、新会社ニュービューティランドを設立して「セクレーヌ」を販売しようとも計画したが、そのための資金手当もうまくいかず、結局同月末ごろ手形の不渡を出して事実上倒産した。

(八)  原告は、訴外会社から、「セクレーヌ」を、昭和五〇年五月二五日まで、供給されることがなく、かつ、同年六月二八日のSBCの会合で富田らが被告青松から解任され、かつ、代理店経営は自分の手に負えず、これ以上やっても赤字が増すだけだと考えるようになったため、同月三〇日事務所を閉鎖し同年九月五日付けで、訴外会社に対し、本件代理店契約解約の意思表示をした。

以上の事実を認めることができる。《証拠判断省略》

2  右認定の事実に基づいて考えるのに、被告佐藤は、訴外会社の代表取締役として、同社が健全に運営されているか否かを絶えず監督するとともに、もし杜撰な運営が行われている時は適切な措置をとり、同社及び第三者に不測の損害を及ぼさないように配慮すべき職務があるのに、これを怠り、昭和五〇年五月ごろまでは訴外会社の経営に一切意を用いず、会社業務の一切を被告青松らに任せきりにしており、訴外会社の経営に関心を抱くようになった時は時機すでに遅く被告青松らの杜撰な経営により訴外会社は事実上その機能を停止する状態にあったというのであるから、被告佐藤には商法二六六条ノ三第一項前段にいう職務を行うにつき重大な過失があったものといわなければならない。

次に、被告青松は、訴外会社の取締役であり、かつ実質的な経営の中心者であり、しかもSBCの会長代行を兼ね、かつ「セクレーヌ」の総発売元であるボッシス・ジャパンの代表取締役でもあったのであるから、SBC総本部長であった富田と緊急な連絡をとり、またボッシス・ジャパンと訴外会社との間も適正に調整して、販売網の組織充実を図ると共にボッシス・ジャパンから訴外会社が適切に「セクレーヌ」の供給を受けられるよう適宜な措置をとり、もって原告を始め代理店に対し「セクレーヌ」を供給して代理店契約を誠実に履行すべきであり、かつ、訴外会社の健全な経営を行うべきであるのに、これを怠り、代理店契約を誠実に履行しないばかりか、訴外会社の設立後まもなく富田と意見の対立を生じて混乱を引き起こし、使途不明金等も生じさせ、設立後半年も経たないうちに訴外会社の機能を事実上停止させるに至ったというのであるから、安易・杜撰な経営を行ったものというほかなく、被告青松には商法二六六条ノ三第一項前段にいう職務を行うにつき重大な過失があったものと解するのが相当である。

次に、被告斎藤は、訴外会社の取締役として被告青松のワンマン経営を制御し、かつ、経理担当の取締役として会社の金員あるいは会計帳簿等の管理により会社の金員が適正に運用されるよう監視すべき任務があるのに、これを怠り、被告青松のワンマン経営を制御しえないのみか、使途不明金等も生じさせ、金員の管理も杜撰であったというほかなく、被告斎藤にも商法二六六条ノ三第一項前段にいう職務を行うにつき重大な過失があったものと解するのが相当である。

二  そこで、進んで、原告の被った損害額について判断する。

1  まず、原告は、本件代理店契約に基づき、訴外会社に対し支払った保証金及び加盟料金三〇〇万円の返還を受けられずこれにより同額の損害を被った旨主張する。

前認定事実及び弁論の全趣旨によれば、本件代理店契約は、原告の設立前に発起人である下田らと訴外会社との間で締結されたものであるが、原告は、その設立後訴外会社からマーシャル等の供給を受けることにより右代理店契約上の地位を承継したこと、右代理店契約は前認定の経緯により昭和五〇年七月末日頃目的不到達により終了したこと、従って、原告は、訴外会社に対し、保証金及び加盟料合計金三〇〇万円の返還請求権を有するが、訴外会社の事実上の倒産によりその返還を受けることができず、同額の損害を被っていることは明らかである。

2  次に、原告は、原告が訴外会社の代理店として昭和五〇年三月一日以降営業ないし営業の準備をなすために支出した費用金二五九万〇九一七円をも損害として主張するが、右主張に係る費用はいずれも原告の設立及び存続に要した費用であり、原告において当然に訴外会社に対し償還を請求できる性質のものではないから、他に特段の事由の主張立証のない本件においては、被告らの行為により原告が右同額の損害を被ったものと認めることはできない。

三  以上の次第であるから、被告らは、原告に対し、各自金三〇〇万円及びこれに対し、本件訴状の送達された日の翌日である、被告斎藤においては昭和五〇年八月一一日から、被告佐藤においては同月九日から、被告青松においては同五三年一月二八日から、各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、原告の請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余の請求は、理由がないから、棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項を、仮執行の宣言については同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 上田豊三 裁判官長久保守夫は職務代行を解かれたため署名押印することができない。裁判長裁判官 山口繁)

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